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— Jin Saito (@jinxito) 2016年10月26日
「1万時間の法則」https://t.co/kzjxhc6Vmb
ハロウィン神戸と幕張の間にまるで関連のない話題となってしまいましたが、ある意味では我々の生き方そのものであるとも思っています。
仕事のストレスは少ないが勝ちなのです(^^
「1万時間の法則」という言葉を耳にしたことはあるだろうか?どんなことでも1万時間続ければその道を極められるという法則である。
言うが易しではあるが、この法則を達成するのは非常に困難を極める。なにしろ1日8時間1年365日、毎日打ち込んでも3年半近くかかるのだ。
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ドラクエなどのRPGにハマった経験がある方も多いと思うが、相当やり込んでも100時間程度。そのさらに100倍となるとそれこそ廃人レベルにハマり倒さねばならないことになる。
「いやいや僕のFFやり込み具合といったらそんなものじゃございませんぜ」「私のモンハン度合い知ってます?」等の自慢はわざわざしなくてもよろしい(笑)。
実現レベルとしては「相当マニアックにハマり倒して5年」といった感じだろうか。
しかしこの言葉は正鵠を射ていつつもある意味では誤りであると僕は思っている。じゃあ誰でも毎日8時間ピアノの練習をしたら万人が例外なくピアニストになれるかといえば、絶対にそんなことはないからだ。
それらの時間の過ごし方にしても、しぶしぶと時間が経過するのを待ちながら3分に1度時計を見て過ごす8時間と、気がついたらあっという間に時が流れていた!という8時間ではあまりにも内容の密度が違いすぎる。
前者のスカスカの8時間を毎日繰り返していたのではおそらくは何年かかっても極めることなんてできやしないだろう。そしてその8時間の日々というのは耐え難いほどに苦痛の日々となるのではないだろうか。そんな苦痛な時間を無償で続けるのは実際は1年だって無理だろう。
つまり「1万時間の法則」というのは、実際に1万時間を費やすうんぬんではなく「それこそ1万時間没頭できるぐらいに自分にとって楽しいこと、飽きないこと、打ち込めること」を示唆しているのだと思う。
クリエイティブ職と言われているような業界は、基本的にこういった方向性が合致している場合においては非常に居心地の良い天職と思える職場環境になり得るけれども、そうでない場合は地獄のブラック企業にしかなり得ない。
「無償」ではないにせよ「相当割に合わない」 というのは仕事を始めて数年では当たり前の話で、そこが改善されるとは思えないし、されない理由もキチンとある。
充実の雇用と福利、週休二日制、残業なしの環境ではクリエイターは非常に育ちにくいという宿命を背負っているからだ。
ノリノリで没頭しているやりかけの仕事を「定時だから」という理由で取り上げられてしまう職場環境なんて、まさにクリエイターからすれば地獄の労働条件でしかない。
仕事をしていたければずっと仕事環境を提供し続ける。どうぞどうぞ会社の電気代だろうが資材だろうが好きに使ってください。
それこそが理想の環境であり人材であるのだろう。
appleやGoogleの雇用体制がよく比較として取り上げられることが多いが、ああいった企業と日本企業との一番の違いは「時間の使い方」にある。
別にいつ何時間働こうが自由、納期に間に合う限りは基本的には自由。定時もなければ勤務時間もなく、自宅で仕事をするのも自由。タイムカードなんてもちろんない。夢のような仕事環境だと思う会社員の方も多いことだろう。
だけれども彼らの仕事がクリエイティブだと憧れるのは結構だが、良いとこばかりを見て「いいなぁ」と憧れるのならば、悪い部分にも着目すべきだ。
彼らは年俸制なのでいくら余分に働いても追加の給料はない。(成功報酬といった別途契約はここでは除外する)しかし納期に間に合わなかったり契約違反をやらかせば速攻で解雇といったシビアさもあるだろう。
なんの非がなくても一つのプロジェクトが終われば契約終了となって「今日までご苦労様」とあっさりと解雇される。
つまり、appleもGoogleも企業の体をなしていながら日本の企業とは根本的な部分がまるで違うのだ。
良いところばかりを見て良いところばかりを真似していたのではやがて破綻するのは目に見えている。
これは企業側にしても同じことで、定時出社やタイムカードは社員の管理をするのが楽だからしていることなのであれば、自由なスタイルとかを中途半端に導入するのはよくないとも思われる。
「フレックスタイム」なんて実に中途半端な自由だとも思うし、日本人の性質的には向いてないんだろうなぁ……なんて余計なことを思ったりもする。
数日前に面白いツイートがあった。
科学者「悪の組織に捕らえられてしまった……」
— マロン◆C91木曜東G-14b (@maroncarpbaka) 2016年10月6日
悪人「フフフ……お前にはこれからみっちり我々のために実験してもらおうか。とりあえずここがお前の研究室だ。薬品は何でも揃ってる。データの解析や備品の洗浄は専門の部下にやらせる。欲しいものがあったら何なりと言ってくれ」
科学者「はい!」
思わずクスッと笑ってしまうぐらいに、この科学者の喜びが伝わってくるようだ。科学者の心の言葉は他でもなく「悪の組織さん、捕らえてくれてありがとう!」なのだろう。
過労死するほど過酷な労働の日々なのか、面白くてたまらない仕事の日々であるのか。
同じ労働量でも感じ方は人それぞれだ。
一日4時間睡眠でそれ以外ずっと仕事の過酷な毎日であっても、それが「喜び」であると感じられるのならば、それは疑いなく天職であるのだと思うし、その状態では人は決して過労死はしない。
頑張りすぎて熱を出して倒れてしまうことはあるかもしれないけれど、少なくとも過酷な労働条件を悲観して自ら命を落とすようなことは決してしない。
そんな毎日が楽しくて仕方がないのだし、そんな毎日が続くことが喜び以外のなにものでもないからだ。これは仕事ではなく趣味や遊びの話に置き換えたら理解しやすい感覚になるのだと思う。
そもそもやっていて面白くもない遊びや趣味を誰が1万時間もやるものか。仕事にしても人それぞれ向き不向きがあり、それを判断するのに1万時間も必要とはしない。
そして遊びの感覚で自分の仕事を楽しむことができることこそが「天職」の必要十分条件となるのだろう。
しかし今の日本の価値基準から「天職」を見つけるのは困難を極めるとも思う。だけども、そのヒントは自分のこれまでの生き方の中に必ずあるはずだ。
尻切れとんぼに思われるかもしれないが、要するに今回のブログは「好きこそ物の上手なれ」ということわざを詳しく説明しているようなものなのだろう。
仕事に対しての単なる理想論と一笑に付されることなのかもしれない。だけどもこれ以上ないほどにシンプルにして“真”であると、僕は信じている。
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VAMPSのキーボード、jinさんのブログからです☆
分かりやすい良いお話だと思いました」٩(*∂∀6)۶
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